ぶらり三浦海岸 その2

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西叶神社
叶大明神は,平家の横暴ぶりを憤った京都神護寺の僧・文覚上人が,上総の国(千葉県)鹿野山にこもり,はるかに山城国(京都府)石清水八幡宮に源氏の再興を願い,養和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まるとされている。虹(こうりょう),欄間,拝殿天井などに総数230を超す,沢山の彫刻が施されています。これらは,社殿が再建された時,のちに名工とうたわれ,幕府の彫刻師として雇われた安房国千倉(千葉県)の彫工・後藤利兵衛によって制作されました。
 彫刻に要した費用は総建築費の約七分の一にものぼる四百十一両余。当時は奉行所が置かれ,廻船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われる。龍や花鳥草木等の優れたこれらの作品は,横須賀市の市民文化資産に指定されています。
 その後,文治2年(1186)壇ノ浦の戦いで,平家が破れ源氏の世になると,文覚上人の願望が見事叶ったことから,「叶大明神」の称号が与えられたと伝えられている。現在の社殿は,天保8年(1837)に焼失した社殿を,天保13年(1842)に再建したもので,要した費用は約三千両と記録されています。


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素晴らしい眺望です。

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湾をはさんで向かいの東叶神社
東浦賀の守護神である(東岸)叶神社は、社殿によれば養和元年(1181)京都神護寺の僧文覚が源家の再興を発願して、山城国男山にある石清水八幡宮を当地に勧請なされ、もし源家の再興実現の折には、永くその祭祀を絶えざるべしと祈念したところに始まると記されています。
その後、文治2年(1186)には源頼朝公が平氏一門の滅亡により源家再興願意成就の意を込めて神号を改め、「叶大明神」と尊称されたと伝えられています。


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境内のなかに自販機。めずらしい。
ご利益ありそうで思わず購入しちゃいます。


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観音崎公園。
東京湾に突き出た岬に位置し、変化に富んだ自然美あふれる岩場と砂浜での磯遊び・海水浴・釣りが楽しめます。 また、日本最初の洋式燈台である観音埼灯台をはじめ、各種園地や自然博物館、美術館、レストランなどが点在する魅力あふれるエリアです。

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かつて多くの砲台を要した東京湾要塞群。全てを合わせるとなんと200近い数の砲が備え付けられていたといいます。その中でもっとも重要な役割を担うがために築かれた観音崎の砲台群。 北門第一砲台は、日本初の洋式要塞の第一号として築かれた記念すべき砲台なのです。
まさに近代国家として世界と対峙すべく歩み出した大日本帝国、そのスタートとなる号砲が轟いた最初の場所というわけです。要塞の様です

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走水神社
村民が日本武尊より賜った「冠」を石櫃(いしびつ)に納め、その上に社殿を建て日本武尊を祀ったことが走水神社の始まりだと伝えられています。
弟橘媛が海に身を投げた際に詠んだ歌は、明治43年(1910)に歌碑として走水神社の境内に建碑され、除幕式には東郷平八郎、乃木希典も列席しています。

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絶景

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思わず吹いてしまいました。

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再び観音崎公園

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浦賀の渡し。往きで気になっていたので乗せてもらいました。玄茶利男込みで200円。
チャリ乗せるのもセルフ、500円玉皿に入れてお釣りとるのもセルフ、自然体でした。

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三浦海岸に戻ってきてゴールです。


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