ぶらり両国 その2

続きです。


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街のいたるところに銅像があります。


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両国花火資料館
両国川開き花火にはじまる江戸の花火の歴史をはじめとした、両国花火の総合資料館です。日本の花火の技術ち歴史を模型や資料で解説する花火の殿堂です。浮世絵などの歴史資料ばかりでなく、新旧の花火ポスター、写真、ビデオ、書籍などでもわかりやすく展示しています。

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回向院
1657(明暦3)年に東京都墨田区に創建された浄土宗の寺院です。「振袖火事」と呼ばれる明暦の大火によって焼死した10万8千人の人を葬るために、当時の将軍徳川家綱が作った万人塚に始まります。その後、江戸市中すべての無縁仏を埋葬するようになりました。回向院に参詣する人々で両国橋周辺は賑わうようになり、付近に様々な店舗、演芸小屋が集まる場所となりました。敷地内には、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉などの著名人の墓があります。

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塩地蔵
宝暦7年(1751年)に建立され、右手に錫杖、左手に宝珠を持っており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから、「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。

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鼠小僧の墓。
鼠小僧は、江戸時代後期に実在した盗賊で、貧しい庶民の家には押し入らなかったことから義賊として歌舞伎や小説で取り上げられました。 鼠小僧を演じる役者たちは千住小塚原の刑場にお参りにいくには遠いため、刑場に建つ回向院別院の本寺である両国回向院の境内に供養碑を建てて霊を弔いました。明治時代に鼠小僧役を演じた役者が碑と供養料を寄付したとの記録もあります。手前の小さな石碑は「欠き石」と呼ばれ、鼠小僧の墓石を欠いて持つと、金回りが良くなるなどといわれたため、多くの人に本体を欠かれないように置かれたものです。

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猫塚
 「文化年間、日本橋に住む時田半治郎という人が、家計が窮迫したうえに病気となって苦しい毎日を送っていたが、日頃かわいがっていた猫が小判をくわえてきて長年の恩にむくいた。
 それ以来、時田家の家運が次第に開けて、病気も治り家運が挽回し繁栄していった。
 時田家では、この猫を徳として感謝していたが、猫が死ぬとその霊を回向院に埋葬し、墓をたてた」というお話です。

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墨田区の隅田川
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吉良邸跡
なまこ壁に囲まれた東京都指定史跡「吉良邸跡」があります。元禄15年(1702)12月14日、赤穂四十七士が討入ったところで、「忠臣蔵」で知られるところです。 現在、吉良邸跡は墨田区の本所松坂町公園として保存されています。昭和9年(1934)地元両国3丁目町会有志が発起人になって、邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入し、昭和9年(1934)3月に東京市に寄付し貴重な旧跡が維持され、昭和25年(1950)9月に墨田区に移管されました。


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