ぶらり高円寺

高円寺へ行ってきました。
駅近辺は商店街が多く、若者向けの衣料品(古着屋)・雑貨店や安価な献立の飲食店・古書店・小さなライブハウスなどが目立ち、休日になると多くの若者でにぎわう。大規模小売店舗がなく多数の小規模店舗が林立して商店街が発展していることが特徴です。今では阿波踊りで全国的に有名になっています。

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JR中央線と総武線が停車します。しかし中央線は平日のみの停車、休日はホームは使用されません。

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氷川神社。
社伝に、源頼朝が奥州征伐(文治5年(1189年)の際に当地に立ち寄り、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させました。またあるいは、随伴していた村田兵部某[2]が当地で帰農し、大宮高鼻より勧請して社殿を建てたともいわれます。また口伝によれば、天文年間(1531年~1544年)に、宿鳳山高円寺と同時期に開かれ、高円寺が当社別当寺となったとされます。

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気象神社。
祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。元は、馬橋4丁目(現在の高円寺北4丁目)にあった大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に、1944年(昭和19年)4月10日に造営されたものです。この神社前で勤務前に気象観測員が気象予報の的中を祈願したという。戦後の神道指令で撤去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存しました。そこで当局に申請して払い下げを受け、1948年(昭和23年)、当時は9月18日だった例大祭の際に現在の氷川神社に遷座しました。

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高円寺。
弘治元年(1555年)、中野成願寺三世建室宗正により開山されました。将軍徳川家光が鷹狩りの際、雨宿りのために当寺に立ち寄り、時の住職が家光を将軍としてではなく一般の雨宿りの客として、さりげなくもてなしたことが気に入られ、家光は鷹狩りの度に当寺に立ち寄るようになったことで、当寺は広く知られるようになりました。これが何年も続いたことで、家光は世話のお礼に宇治から茶の木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされ、この「お手植えの茶の木」は今も境内に見ることができ、またこのような徳川家ゆかりの寺であることから「三つ葉葵の紋」を所々で見ることができます。

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変わら葺き替え中。

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こんな鳥居はじめて見ました。

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純情商店街はじめ商店街が多く根付いています。

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長仙寺。
日王山阿遮院長仙寺は、真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊としています。 寺伝によると、宝永元年(1704)、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、この地に一庵を建て、日王山阿遮院と号したのが開創といわれます。

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桃園川緑道。
旧桃園川(旧桃園川下水幹線)に、昭和60年から平成6年にかけて整備されました。杉並区側も整備されており、神田川につきあたるまで、約2.3キロメートルの緑あふれる遊歩道となっています。

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阿佐ヶ谷アニメストリート。
JR阿佐ヶ谷駅と高円寺駅間の高架下に2014年3月、「阿佐ヶ谷アニメストリート」がオープン。2階建ての北棟と平屋建ての南棟からなる全長約120m、幅約20mの建物です。中央通路の両側にアニメと、アニメと関連性が深いマンガ、映画、ゲーム、小説などの作品を幅広く扱うショップや専門校が出店します。

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阿佐ヶ谷神明宮。
寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図絵』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれています。 建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っています。 江戸時代から庶民の信仰が篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠中仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政十一年(1828年)の銅製の三本御幣が奉納されています。

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世尊院。
真言宗豊山派のお寺で正式には、阿谷山世尊院正覚寺と言います。
室町時代までは、この地に中野の宝仙寺があり、宝仙寺が中野へ移転し、塔頭寺の世尊院が
当地に残されたそうです。

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阿佐ヶ谷駅でゴール。

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秋晴れで爽やかなブラリでした。

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